あれはたしか、暑い夏の日だった。


すっかり慣れたカフェのバイトが暇で仕方がなかった僕と、彼との出逢いは。




―イノセント。―







「あの…ちょっとだけ、かくまってもらってもいい?」


店に入ってくるなり、彼は上がった息のまま言った。
この真夏日に、マスクとサングラス。そして深くかぶったキャップ。
どこからどう見ても怪しかったが、キュヒョンは黙って頷いた。


「じゃあ、ちょっとごめんね!!」

「え?ちょ、ちょっと…うわあ!!!」


いきなりカウンターの中に入ってきた彼は、キュヒョンの手を引いて腰を屈める。
キュヒョンは倒れ込むように尻餅をついてしまい、おまけに、
淹れていた途中のコーヒーが無残にも零れていた。

初対面からなんて常識のないヤツ。

キュヒョンはそう思いながら、彼の顔を見た。
さすがに暑かったのか、マスクもサングラスもキャップもとっている。
そして、よく見ると、意外に綺麗な顔立ちをしていて…


「あ!!!」


キュヒョンが思わず大声を上げると、彼は驚いたようにキュヒョンの口を塞ぐ。


「ちょっと!隠れてるんだから静かにしててよ!!」

「す、すみません…あ、あの…」


キュヒョンはもう一度、彼の顔を凝視する。
長いまつげに、黒目がちな瞳。白い肌に、少し色っぽい唇。
間違いない。あの人だ。


「スーパージュニアの、ソンミンさん、ですよね?」


彼は一瞬びっくりしたような顔になって、すぐにふわりと笑って頷く。
なんだか綺麗すぎる笑顔で、キュヒョンはうっとりと見つめてしまう。

そして、彼から漂う匂いは、淹れたてのコーヒーよりも際立っていた。

甘くて、しっとりしてて…まるで、汚れを知らない華のように。



キュヒョンがしばらく呆然としていると、ソンミンはすくりと立ち上がった。
あたりを見回して、キュヒョンに微笑みかける。


「もう大丈夫みたい。ありがとね」


ふにゃりと笑うソンミンを、キュヒョンはただただ見つめた。



―その笑顔は、反則だろ…







「じゃ、お騒がせしました。」


ソンミンは小さく会釈をして、出口へ向かう。
キュヒョンは我に返って、その後姿を見つめた。
でも結局、遠ざかっていく背中を、黙ってみてはいられなかった。


「あ、あの!!」


キュヒョンが声をかけると、ソンミンはゆっくりと振り向いた。
待ってました、と言う様な視線に、キュヒョンは思わず赤くなる。


「あ、あの…また、来てくれますか?」


甘い匂いが鼻先を掠める。
零れたままのコーヒーに負けないくらい、その匂いは甘かった。

しばらくして、クスリ、と声が聞こえる。


「コーヒーのブラック、予約ね。」


それは、太陽が照りつける、暑い夏の物語。


 *******



ほろ苦いコーヒーの香りに、キュヒョンは足を止めた。
歩幅を合わせたいたソンミンも一緒に立ち止まる。


「キュヒョナ?どうかした?」


心配そうに顔を覗き込むソンミンを見て、キュヒョンはクスクスと笑った。
あの頃と変わらない甘い匂いと、華のような微笑み。
そして、このコーヒーの香りは、ソンミンに出した最初のメニュー。
コーヒーのブラック、だ。


「キュヒョナ?なに笑ってんの?」

「いや…なんか、懐かしいな、って。」


キュヒョンが笑うと、ソンミンも思い出したかのように笑った。
華のような微笑みは、今では、キュヒョンだけに向けられることもある。


「ねえねえ、キュヒョナ。」

「ん?」

「喉渇いたんだけど、予約してもいい?」

「…いいよ」


思わず笑いそうになるのをこらえて、キュヒョンは返事を待った。


「じゃあ、コーヒーのブラック、ね。」


二人は顔を見合わせて笑う。

空には、あの日に負けないくらいの太陽が輝いていた。





―それは、真っ白で純白な、淡い夏の思い出。













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